2章 白鷹天蚕紬ができるまで

【養蚕の町】

山形県南部のほぼ中央に位置するここ白鷹町では、古くから養蚕が盛んに行われ町内ほとんどの農家で蚕を飼って製糸や織物が行われていた。社会情勢の変化により養蚕は衰退の一途をたどったが、かつては町全体での売り上げが8億円にまで伸びた養蚕の町であった。町内には現在も「蚕桑(こぐわ)」という地名が残っている。


【天蚕繭の生産】

その白鷹町の深山地区で「天蚕」が飼育されている。より希少価値のある「天蚕」を生産しようという取り組みが始まったのは平成元年。農家の副収入を上げようという目的のほか、過疎化が進む町での「地域づくり」としての取り組みでもあった。区の役員と元養蚕農家等で天蚕飼育組合を組織し、圃場にクヌギを植え、繭の生産を行ってきた。


【特産品を再び】

平成19年、元養蚕指導員や米琉織物工業協同組合が会員となり、新たに「しらたか天蚕の会」として活動を始めた。当時は生産した「繭」を販売しており、平成20年から銀座もとじさんに繭を購入いただいた。その後、繭として売るのではなく以前のようにここでしかつくれない特産品として付加価値をつけて製品を販売しようと今後の活動について話し合いを続けた。織りの技術も残るこの町で天蚕の飼育から紬を織りあげるまでを一貫して行う、そんな会の活動を理解してくださったのが「銀座もとじ」の泉二社長であった。数年前には東京からここ深山地区に足を運び圃場を視察してくださった。



【天蚕の飼育】

雪解けを待ち4月になると作業が始まる。飼育担当の会員が2ヘクタールの圃場に施肥を行い、圃場内の草を刈り、整備作業を行う。天蚕を鳥獣から保護するため圃場はすべてネットで囲う。高所に上がってのたいへんな作業だ。圃場周辺にはタヌキやハクビシンがやってきて穴を掘り圃場に入り込もうとするため、鳥獣害防止策として電気柵も設置した。








クヌギの葉が芽吹き、6月中旬、保存しておいた天蚕の卵をクヌギにつけてふ化を待つ。天蚕糸で一反を織るには約4000~5000粒の繭が必要となる。


幼虫が繭になるまでの間、草刈り等の圃場の整備を行いながら日々見回りを行い、入り込んだ野鳥を追い払ったり、クヌギについた害虫を取りはらう。クヌギの葉を食べて成長する幼虫は、その木の葉を食べつくすと隣の木に這って移動する。移動中、夏の暑い陽射しによりひからびてしまったり、ネットの間に入り込んでしまって死んでしまったりする幼虫もいる。そうならないように、葉がなくなった枝を切ってはまだ葉が残る木に天蚕を移す。飼育担当の会員は朝仕事に圃場に向かい、農作業を終えた夕刻にも圃場に集まり移動作業を繰り返す。



【天蚕観察会】

7月下旬には、町内2小学校の3年生を対象に天蚕観察会を行う。「蚕桑」の地名が残る蚕桑小学校の3年生は、かつて地域で盛んに飼われていた「家蚕」を学校で飼育している。自分たちが飼育している家蚕とはちがい、緑色の天蚕はクヌギの葉と同化しているため、こどもたちは目を凝らして天蚕をさがす。目が慣れてくると幼虫を見つけては「先生、ここにもいるよー。」と興味深く観察している様子。蚕の先生(飼育担当の会員)に「どうして緑色の蚕なの?」「どうして逆さまにぶら下がっているの?」といった質問がくる。貴重な「天蚕」がここ白鷹町で飼育されていること、その天蚕から特産品として「白鷹天蚕紬」が生産されていることをこどもたちにも知ってもらえるよう、観察会は毎年実施している。





【繭の収穫】

観察会が終わると7月下旬から8月上旬にかけて繭の収穫の時期。繊細な天蚕の飼育には細やかな配慮が必要。労力を惜しまず飼育作業を続けてきた会員にとっては、大きな繭を収穫できることが何よりのよろこびだ。



繭の収穫を終えて繭を乾燥させ、お盆を過ぎると、圃場がある敷地内で収穫祭を兼ねた生ビール会。今年の飼育の苦労などを話しながら次の作業となる繰糸担当に引き継ぐ時期だ。

【翌年の生産に向けて】

収穫した繭をオスとメスに見分けて産卵籠に入れ、成虫になったヤママユガは交尾し産卵。翌年の生産に向けて卵を採る。卵が越冬期間中の2月には卵を洗って室内で乾燥させ、3月上旬から冷蔵庫に入れ6月中旬まで保存する。

ここ深山地区は、多いときには2メートル近くの雪が積もる豪雪地域。そのため、2ヘクタールの圃場を囲ったネットはそのままにしておくことはできず10月には取り外す作業を行う。雪が降る前にはクヌギの木を剪定、雪囲いを施し翌年の生産に備える。


【繰糸作業】

繰糸作業を担当するのは手先の器用な女性会員。自分たちで糸をとり繰糸の技術も残していこうと3人が習って技術を習得した。糸とり作業での切れやもつれを防ぐため繭を煮てお湯に浸しひとつひとつ紡いでいく。糸とりをスムーズに進めるにはお湯の温度も重要だ。家蚕の糸よりも時間がかかり根気のいる作業である。






【100%天蚕紬ができあがる】


町内の織物工房2社も会員であり、紡いだ糸で最後の織りを担当する。

天蚕糸の性質上どうしても毛ばだってしまい、毛ばだちを一本一本ていねいに直しながらの機織りのため技術を要し時間がかかる。

「しらたか天蚕の会」として活動してから初めて一反ができあがったのは平成25年。平成24年産の糸で織りあげた。





 その夏、泉二社長が「銀座もとじ」で白鷹天蚕紬の発表会を開いてくださった。自分たちが一貫して生産した紬をお客様がその場で買ってくださったことが感無量となり、あらためて1年で1反を織りあげることを目標とした。

しかし、平成25年には一反織りあげるまでの糸がとれず、26年産とあわせて2回目の一反ができあがったのは平成27年2月であった。2年で一反分となった貴重な天蚕糸が織りあがり、完成記念の写真はみんな安堵の顔。



【支援があってこそ】

平成27年度、28年度は、思うように天蚕が育たず繭の収穫量が極端に少なく、繰糸も織りもできなかった。天蚕飼育の難しさをあらためて感じた2年間であった。平成29年度、今年こそは再び「白鷹天蚕紬」を納めたいとの思いで活動を開始した。会員の日々の活動が実り約4000粒の繭を収穫することができた。9月には福島県「りょうぜん天蚕の会(菅野秀一会長)」を招いての情報交換交流会を行った。互いに以前とメンバーも変わっており、ひさしぶりの交流であった。3月にりょうぜん天蚕の会を訪問し、繭の収穫が少なかったここ2年の状況から29年度の生産に向けて卵をわけてもらい当会の活動を支援いただいた。


現在、しらたか天蚕の会会員は15名。飼育を担当するのは圃場周辺の深山地区民、元養蚕指導員等7名。繰糸作業は女性会員3名が担当し織物工房2社が天蚕糸を織りあげる。平成24年、今後の活動について何度も話し合い「生産しても安定した収入につながらないならもうやめようか。」との考えもあった。昨年夏、2年間生産できなかったことを泉二社長と話した際「だからこそ希少価値がある」と言ってくださった。おかげさまで、会のなかで繰糸の技術も織りの技術も途絶えることなく残すことができている。自分たちの手で生産した天蚕糸が着物になりお客様の元へ届くことを何よりの喜びとして、会の活動に支援いただき生産を待ってくださる銀座もとじ様へこれからも「白鷹天蚕紬」をお届けできるよう、会員一同で研究を重ねている。